外国人の日本体験 Experiences in Japan
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申さんと赤ちゃん
日本にほんあかちゃんを
申 男 Shin Nam     (24K)
(ルーテル大学大学院社会福祉学科在学中)

 わたし以前いぜんから赤ちゃんがかわくてしかたがなかった。そして今年ことし結婚けっこんし、赤ちゃんをさずかることができた。

 学生がくせいをしながら主婦しゅふ妊婦にんぷ生活せいかつをするのは簡単かんたんではなく、ときには学生をめようかとおもったほどだった。ツワリがひどくなり、鬱状態うつじょうたいになり、なつばてになったりして、身体状態しんたいじょうきょうつねに変化し気持きもちもいつもれていた。状況はさらにわるくなり、おっと会社かいしゃ破産はさん経済けいざいはよりきびしくなった。夫や家族かぞく帰国きこくするようにと私にった。でも、私はいつか大学院だいがくいん卒業そつぎょうした私に「ママ素敵すてき!」と子供こどもが言ってくれるようになりたかった。そのためにはどんなことがあっても努力どりょくし、えなきゃとおもった。

 こんな状況で揺れる私に、おなかのちいさい小さいいのちこえきここえてきた。「ママ! 私も頑張がんばるから、ママも頑張ってよ」と。いつもいつも聞こえているようながしていた。

 私のもうひとささえになってくれたのは、先生せんせい学校がっこう同級生どうきゅうせい先輩せんぱい母子ぼし学級がっきゅう同級生どうきゅうせいのかたがただった。先輩妊婦さんの友達ともだちの鬱を乗り越えた経験談けいけんだん母乳ぼにゅうをよくすためのマッサージや母子学級ぼしがっきゅう情報交換じょうほうこうかんなど、まわりにいるすべてのかたがたが、韓国かんこくからはなれ日本で子供を産む私のパワーのもとになってくれたのだ。

 初産ういざんの私は、まず赤ちゃんをどこで産むのかをめなくてはならなかった。学生がくせいをしていることで、日本で産みたかった。そこで病院代びょういんだいやすくて、安心あんしんできる病院を学校の先輩せんぱいソーシャルワーカーが調しらべてくださり、いえちか久我山病院くがやまびょういん紹介しょうかいしてくれた。 (久我山病院は私の母校出身者ぼこうしゅっしんしゃが何人もいて安心でき、赤ちゃんのなやみごとに24時間じかん親切に応対おうたいしてくれる応対ところだ。いまでも夜中理由よなかりゆうなく、赤ちゃんがまない時や赤ちゃんに異変いへんがあるときなど不安ふあんな時は夜中よなかでもつい電話でんわをしてしまう。子育こそだてには最適さいてきな病院だと思う。)

 はじめての出産なので赤ちゃん用品ようひんなにもなかった。赤ちゃんの洋服ようふくやベビーカーやベビー用風呂ようふろなど色々いろいろな赤ちゃん用品は学校の同級生どうきゅうせいゆずってくれた。その中には赤ちゃん用爪切つめきりまではいっていた。また学校の先生の紹介しょうかいで、札幌さっぽろ二児にじ母親ははおやかたより、肌着はだぎや赤ちゃんの古着がたくさんとどけられ、ベビー用品は何から何までそろい、購入こうにゅうする必要ひつようはまったくくなった。その、その方とはメールで育児交換いくじこうかんをしていて、いまではメール友達ともだちになっちゃった。 ^0^・・

 今は、ちいさい赤ちゃんと一緒いっしょだと外出がいしゅつ大変たいへんなので、つねにメールで育児情報いくじじょうほうや悩みごとを母子仲間達ぼしなかまたちと交換している。

 私はくにを離れて妊娠にんしんしたので不安でいっぱいだったが、多くの日本人の支えがあり、安心して出産をむかえることができたと思う。日本での出産の経験けいけんつうじて、私は悩みごとや生活ニーズや仲間探なかまさがしなど社会しゃかいにある制度せいど利用りようすることの大切たいせつさをり、社会資源しゃかいしげんを利用することで出産をえられたと思う。

 10月10日に元気げんきおとこ(3,168g)がまれた。今は、学校の授業じゅぎょうにも赤ちゃんをれて行っている。私の赤ちゃんはゼミの皆や先生方にあいされている。さわやかな赤ちゃんパワーととも新米しんまいママの私は「とてもしあわせ」で、将来のゆめかって夢中むちゅうはしっている。
(2002年12月8日)